新しい年を迎えて

みなさま、新年あけましておめでとうございます。この「こけのきもち美術館」は昨年の12月に公開したばかりのサイトですが、新しい作品のアップ、サイトの構築、またこのブログ記事の更新、とそれぞれを前へ前へと押し進めて参りますので、どうぞ今年もよろしくお願い申し上げます。

さて、今年は年始の元日から能登の大地震、また2日には羽田での航空機事故と、立て続けに大きな出来事が起こってしまいました。その他にも政治への不信から、いろいろなことが起こる一年になりそうです。このように大きな事件が起こり、世間が騒がしいときというのは、誰しもが心中穏やかではいられないと思います。ですが、ボクは「個人にできることには限界がある。だからボクは自分の軸を見失わずに、できることを粛々と進める」ことに努めたいと考えます。

自分の軸を見失わないこと、というのはボクにとってはイラストや絵の作品づくりにおいて自分の内なる声に嘘のない表現ができているか、ということに尽きるのかもしれません。正直な心の内を述べれば、ボクはこれまでSNS等で投稿した自分の絵を他人がどういう目で見ているのか、どのような評価を下すのか、果てはフォロワー受けする絵を描かねば、なんて考えたこともありました。けれどもそれって違いますよね。ボクは周囲の目を気にせずボクの描きたいものを描いた時に初めてボクの個性が(ボク自身もわからないうちに)出るわけですから。

こうしてボクはネット上にホームページまで開いてブログを書いたり自分の作品を展示したり、を始めたわけですが本当のところは他人とコミュニケーションをとるのが苦手で、ひっそりとまた物陰でじっと静かに周囲の様子をうかがっているような人間です。(ペンネームをこけのきもちとしている由来でもあります)でもいつか読んだ故・岡本太郎氏の著書「壁を破る言葉」には次のように書かれていました。

絵を描くということは、疑うことのできない、すべての人のうちにある本能的な衝動なんだ。歌うこともそう。叫ぶことも、躍ることも。表現欲というのは一種の生命力で、思いのほか激しいもの。

また同じ著書の中で太郎先生はこうも描かれています。

ぼくは、人に好かれる楽しい絵を描こうとは思わない。それよりも猛烈に叫びたい。絵のなかで。

ボクはこの太郎先生の言葉もあって、自分も今年は大いに自分の絵の中で叫びたいと思います。それが自分の思うようにこなせたとき、世の中の何かを後押ししたり、あるいは、世の中の多くの人にとって不必要とされる何かの不可解な動きを抑えたりする力になる、と思うのです。

新年早々、ずいぶん抽象的な表現をしてしまったかもしれませんが、あらためまして今年もよろしくお願い申し上げます。

そうそう、先日鉛筆画の話でお話ししました約半年ほどかけて描いてきた鉛筆画、あれは完成しました。初めてF6サイズという大きな画用紙に描いた絵です。近々、鉛筆画の展示室にも挙げ、どういうねらいで描いた絵なのか、などについても記事を書こうと思っています。

お絵描きは楽しい。

ではではみなさん、またよろしくお願いします。

2024年1月3日 こけのきもち

鉛筆画を描き始めたころ

 ボクが鉛筆画も描き始めてから、そろそろ2年くらいが経とうとしています。少し前に書いた記事の中では「井上リエさんのイラスト(アクリルガッシュ)にあこがれて絵を描き始めた」と書いているのですから、アクリル絵の具のほかにも透明水彩やら、さらには鉛筆画まであれこれ手を出して描き始めるなんて、少し絵を描く動機がフラフラと矛盾していませんか?という話ですよね。

 実は鉛筆画についても大きな衝撃を与えてくれた作家さんがいるのです。現在も現役で活動されている鉛筆画家の「土田圭介さん」です。素人のボクが述べるのもおかしな話なのですが、細密画といってよい土田さんの描く鉛筆画は秀逸です。柔らかなトーンと人間業とは思えないグラデーション、そして独特の世界観。本来ならここでそのいくつかの絵を載せて紹介したいくらいなのですが著作権の問題も有りますので、それができないことはどうかご理解ください。(ウェブで検索すれば画像また彼の経歴などはすぐにわかると思います。さぁみなさん、検索、検索!)

大魚を運ぶ男たち

ヴィフアール紙 中目 

B5サイズ

2022.1.24 

かえるの暮らし

ヴィフアール紙 中目 

B5サイズ

2022. 2.9

 何事にも感化されやすいボクは、初めて土田さんの作品を拝見したときに自分も鉛筆画を描いてみたくなりどうしようもなくなりました。初めはマルマン製の水彩紙しかも中目の紙にH~4Bの鉛筆を使い上記の「大魚を運ぶ男たち」というタイトルで描いてみました。古代の人たちの労働に対する感覚を推し量って描いた絵なのです。が、少し美術や芸術のことをご存じの方に見てもらったところ、「おもしろいですね。これはたい焼き?」と言われてしまいました。これはいけない、とめげずに二枚目はおおむねH~4Bあたりの鉛筆で「かえるの暮らし」という絵を描いてみました。この2枚目の鉛筆画は自分でも随分と納得してしまい、なかなか出来もいいのではないかという自画自賛の沼におぼれそうになりました。そして三枚目に描いたのが下の「あなたはだあれ」です。

あなたはだあれ?

Campus スケッチブック 

A4サイズ

2022 6.10

 正直なところ、このころのボクは一枚目、二枚目、とあまり紙の質などにはこだわらず、むしろ鉛筆の濃さばかり気にしながら描いたと記憶しています。けれどもこの3枚目の「あなたはだあれ」を描き進めている途中、ひどく紙の柔らかさ、また硬さが気になりました。描いている途中もちょっと筆圧を上げれば鉛筆の先が紙に埋もれるような感覚になる、紙が筆圧で破けそうになる。といって鉛筆はあまり柔らかくないほうが良い。鉛筆画を続けようと決心して意気揚々と購入したコクヨのCampusスケッチブックの紙は実のところあまりに厚みが薄すぎました。またこの3枚目の鉛筆画を描いた時には鉛筆の硬さもむしろ3H~5Hくらいの十分な硬さを持っている鉛筆のほうが自分のイメージした絵を描きやすいことにも気づきだしていました。

 結果、この「あなたはだあれ」を描き終えたときには今後鉛筆画を描くなら「少なくとも7もしくは8Hくらいから3Hか2Hあたりまでの硬さの鉛筆をそろえ、筆圧にも耐えられるフラットな面の厚みのある画用紙に描く」ことが最低条件であると感じたのです。ですからその後のボクは画用紙ならヴィフアール水彩紙の細目もしくはウィンザー&ニュートンのコットマン水彩紙細目(これは鉛筆画に最適!)、また鉛筆は三菱鉛筆のUNIもしくはHi‐UNIの3Hあたりを中心に使いながら描くようにしています。

 その後は何枚か鉛筆画を描き進め、現在は「大きな魚」から数えて12枚の鉛筆画を描いてきました。そしてその中で、僕はもう一つ重要な大きなことに気づいたのです。それは「鉛筆画は納得のいく描き方をすれば膨大な時間がかかる」ことです。現在(2023.12.19時点)も実は書き始めてから7か月ほどが経っている未完成の鉛筆画に取り組んでいるところなのです。この製作期間7か月を過ぎた鉛筆画はサイズもF6と大きいということもありますが、ようやく、ようやく完成が近づいてきました。それにしてもそれらを考えると前述の土田さんの鉛筆画作品はすさまじく手先の器用さと忍耐力が要求される作品なのだ、と声も出ないくらいに実感するばかりです。

 ああ、話が長くなってしまいましたね。最後にもう一つ、鉛筆画を描きながら感じること。それはコツコツと線一本一本を引いている際、素の自分と向き合うことができる、ということです。描き始めから描き終わりまで、水彩画やアクリルガッシュを画材とする絵などに比べるとひどく時間がかかります。が時間がかかるがゆえにその絵を描く目的や出来栄えへのこだわりなど、ずいぶんいろんなことを考えながら線を引くことに「没頭する楽しみ」を感じている自分をボクは見つけることができました。

 色合いや華やかさを求めれば透明水彩やアクリルガッシュは本当に魅力的な画材です。これからもボクはこれらの画材で絵を描き続けることは間違いないのですが、上記の理由から、「鉛筆画」という選択肢もボクの中では魅力的な輝きを放っているのです。もしあなたが「鉛筆画」に興味を持ったなら、我流でもいいからまずは一枚、スケッチブックと向き合う時間をお勧めしますよ。

2023年12月19日  こけのきもち

 

かわいい古代魚

 サカバンバスピスという古代魚が知られています。サカバンバスピスは、地球の地質年代でいうと古生代のオルドビス紀に生息していた古代魚です。サカナ、といっても顎が未発達な無顎類と呼ばれるグループに属する、今の魚たちの祖先です。ウィキペディアによれば、サカバンバスピスの化石はボリビアで最初に発見され、言葉の意味としては「盾」を意味する aspis から命名されたそうです。この古代魚(といっても化石しか残っていないのですが)復元した模型が大変かわいらしいという理由で2023年の前半、ネット上のSNS等で大いにブレイクしました。

 X(旧ツイッター)ではイラストなどをアップしているボクのフォロワーさんたちも、このサカバンバスピスのイラストや絵を投稿される方が多く、ボクもご多分に漏れずサカバンバスピスの水彩イラストを描き、X(旧ツイッター)上にポストしたことを覚えています。(上記の拙いイラストがボクのそれですw。)

 さて「なぜあなたは絵を描くのか」という問いに対し、ボクのような多くの人、依頼人の依頼に応える形で絵やイラストを描くことを生業としている人以外の人間は、上記のような「可愛らしいから自分も描いてみたい」という理由さえあれば自由に何でも描いてみるといいと思います。「描きたいから描く」これが大切であって、これでいいのだと思うのです。しかしながら、ちょっとした絵を描くにも「絵を描く」といえば何か大ごとを始めるような空気が生まれ、「自分ごときが絵なんて描けるのか、あるいは描くことができるのか」といった足かせになるような気持ちを起こさせるしがらみが私たちの国には多すぎますよね。

 前の記事やこのHPのはじめにも述べていますが、みな、「やってみたいことは遠慮せずやってみよう!」これが大事なのだと思います。絵を描くという作業はとても自然な形で自分を解放させてくれる行為だと思います。「とにかくやってみる」とそれまで見えなかった何かが見えるようになります。見えるようになる対象は一人一人違うと思いますが、それはあなたにとって大切な何かであることは間違いのないことだと思います。

 サカバンバスピスを描いている時間は短かったけれど、とても楽しい時間であったことは記憶しています。もう化石でしか残っていない太古の友だち。おどけた表情なのだから色合いはこんな感じかな?と絵の具の色や水の湿り具合をわくわくしながら決めていったことを覚えています。

 小さな絵、簡単な絵、で大丈夫。さ、あなたもお絵かきを始めてみませんか?

2023年12月18日 こけのきもち

 

ボクは絵を描き始めた

 どうにも抑えきれない純粋な衝動に従って、ボクはお絵描きを始めました。お絵描きを始めた、といっても描き始めたのはもうかれこれ7,8年くらい前になるかと思います。ずっと旧ツイッターやインスタグラムなどで「こけのきもち」のペンネームで気ままに投稿していましたから、つい最近始めたという書き方は正しい表現ではないのですが、あらためて自分でホームページを立ち上げ、しっかり「文章と写真」という形で記録を残してみようと思い立ち、こういう表現で書かせていただきました。

 これは記念すべき第一回目のブログ記事です。ボクがお絵描きを始めたきっかけなどを綴らせていただきます。

 今でもしっかりと記憶しているボクも絵を描きたいという衝動の芽は、すっかり有名になったコーヒーショップ「カルディー」のグッズや壁紙のイラストなどを担当されている井上リエさんのイラストを拝見したことです。それ、いやそのお店に飾られた初めて見るリエさんのイラストはボクにとって衝撃的な出会いでした。それ以来ボクはコーヒーショップ「カルディー」に足を運ぶたびに肝心のコーヒー豆を買うことも忘れて店内に飾られたリエさんの絵にうっとりすること、しばしばでした。

 そしてしばらくの月日が過ぎて「あ、これが絵を描きたいという衝動の芽なのだ」とボクは気づいたのです。「ボクもこんな楽しい、ずっと眺めていられるような絵を描いてみたい」、そんな気持ちを強く抱いたままボクはホルベイン製の透明水彩を買い込み、お絵描きを始めたのでした。

 さて、いざこうして今後ブログとしてお絵描き素人のボクが文章としてのブログを書き始める計画を立ててみると、実にたくさんのテーマと伝えたいことがあることに気づきました。そして絵を描くという行為がボクにとってかけがえのない行為であること、仕事の奴隷になっている日々の状態から人間性を取り戻す最も自然な方法であること、絵を描く行為に没頭する時間と完成した後の絵をつらつらの眺める時間がいかに楽しく素晴らしい時間か、ということに気づいたばかりでなく絵を描くことの楽しさや絵を描くことは決してハードルの高いことではないということをたくさんの人に伝えるべきではないか?と考えるに至ったのです。

 あらためて述べますが、ボクが絵を描き始めておおよそ十年近く経つわけで、その間に湧き上がってきたいろいろな気持ち、また画材やその使用感の発見など、ブログで伝えるのに十分なほどのネタがあることに気づきました。自分も絵を描いてみたいが躊躇している方、またこれまでアートに興味がなかったけれども最近気になる絵がある、そんな人たちにボクの経験と考えてきたことを伝えていくことは意味のある事、と勝手な解釈のままこの「お絵描き雑記帳」を始めてみたいと思います。

 これからボクはこの場でゆっくり、そしてあわてず、素人お絵描き愛好家のキモチを綴っていきます。みなさま、どうか、御贔屓のほどを。

2023年12月10日 こけのきもち