久しぶりのお絵描き

 今日の更新まで少し時間が空いてしまいました。おおむね1カ月余り間が空けてしまったのですが、この期間中、義父が逝去し、何かと忙しい時間を過ごしておりました。そのためお絵かきも中断していたのですが、ようやく落ち着きが出てきましたので、活動を再開したいと考えております。

 次はどんな絵を描こうか。少しずつボクの中に、描きたい図柄や構図が降り始めてきました。そんな中、描いたのが下の二枚です。一枚目のタイトルは「戦いへの決意」、透明水彩とミリペンを用いて描いたF4サイズの絵です。もう一枚のタイトルは「旅のはじまり」、画材はアクリルガッシュですが下地にダンボール紙や英字新聞の切り抜きなどを張っています。久しぶりに絵を描くと、仕上げることに気持ちが傾いてしまって急いた気持ちで仕上げちゃうものですね。描き終わってみれば「ああ、もう少し丁寧に描けばよかったな、慌てて仕上げし過ぎたな」と反省点が多い二枚となってしまいました。

 

 客観的に考えれば二枚のどちらも判りづらい絵ですね。一枚目の「戦いへの決意」はこのところの政治への不満や社会状況への不満を描いたものです。可愛いだけじゃないよ、ボクらはいつまでも従順ではないよ、言葉を発しなくてもボクらは戦う決意を持ったんだよ、というメッセージを込めた一枚です。多くは語りませんが、だって、ここ数年、不条理な押し付けとも取れる不可解な社会状況が多くありませんか?そんなメッセージです。

 もう一枚はどこからどう見ても「抽象画」です。ですから、ご覧いただいた皆様が自由に何かを感じていただけたら、それで良いのだろうと考えております。ただ少し説明を加えるとしたら、なんとなく見える数字は1964、ボクが生まれた西暦です。ボクの旅はここから始まりそして今も旅を続けているのです。旅とは、自分を探し自分の過去・現在・未来の感覚を一つの現象として感じ取る作業です。そしてボクは「いつもボクであり続けていること」を忘れないようにするための一枚でもあるのです。

 ここ1カ月忙しかったので、再びお絵かきを始められることをうれしく感じているところです。とはいえ現実の抱えている仕事は多忙なので、その合間を縫って今年も描きたい絵を自由に描いて参ります。今後もお付き合いいただけたら幸いです。

2024年5月18日  こけのきもち

弥生よ、弥生

 いつの間にか3月も下旬を迎えました。今月も先月同様、ボクは公私ともに忙しく過ごしておりました。本業の仕事もさることながら、予期せぬ高齢の両親への看護等が立て込んでしまって、このブログの方もなかなか記事を書くことができませんでした。ボクはお絵描きをしたい気持ちこそ常に強く抱いているのですが、こういう物事が立て込んでいるときにはその失われた時間を埋め合わせしなければという強迫観念的な心の作用が働いてしまうこともわかっています。焦ったところで程よい絵は描けないものと理解しています。ですからボクは、この忙しい時間と日々が少しずつ過ぎ去ってゆくのを待つことにして日々のライフワークに取り組んでおりました。

 そんな時間の中で、やはりボクはお絵描きをしたいと思いつつも、時折水彩画の筆を水に濡らして好きな海洋生物なんぞを描き始めてみれば、その描き始めた瞬間に「こいつはどうにも納得のいく絵にはならない」と感じ取って再び穂先を濡らしてしまったその絵筆をおもむろに置いてしまったりするのでした。限られた時間内でお絵描きしようと思ってもうまくいかないものです。絵筆を置きながら「絵を描く動機」などについて、ふと考えている自分がいるのでした。

 ボクにとって絵を描くとは?

 ボクにとって「絵を描く=自分を再確認する作業」ということなのでしょう。ですから、どこからともなく頭の中に降りてきた図柄(次に描きたい絵の構図など)は、ボクの気持ちの中のどこかで「こいつは何とか仕上げて形にしないとな。」という自分の声を感じながら、さぁ仕上げてしまうぞと挑む気持ちで紙面に向かうのです。それがなんとも心地よいのです。ボクにとってはこの絵を描く作業こそがワクワクする時間であって、心地よく、脳内に快楽物質が出ている状態なのだと思います。結果、その絵を描いている時の状況や心象風景がそのまま描いた絵に現れている、そんな気がします。

 観念的なお話になってきたので、今回はこのくらいにしましょう。時間は相変わらず同じ歩みの速さで進み、屋外の風景を眺めてみれば、そろそろ桜も咲き始めそうです。

 三月は弥生、そして四月は卯月。卯月は新しい年度の始まり、ようやく本業の仕事も落ち着きそうなのでボクは懲りずにまた鉛筆画を描き始めています。描き始めた鉛筆画はこれまでボクが描いたことのなかった人物画、になりそうです。初めて人物をモチーフにした絵になりますので、なるべく丁寧に制作中です。お絵描きは時間をかけてもいいんです。春、みなさんも自分のペースでお絵描きを楽しんでみてはいかがですか?

2024年3月30日 こけのきもち

手書きの絵、AIの絵

 少し間が空きましたが、相変わらず日常では絵を描くことのいろいろについて考えることの多い生活を送っております。ボクは仕事の関係上、2月は何かと忙しくお絵描きをする時間も限られてしまっているのですが、その中で近頃、変化があったことといえばSNS等でもAIによる作画の案内や宣伝が妙に多く入り込んできたことでした。お絵描きについてボクは、透明水彩を始め鉛筆画なども描き始めから仕上げまでそれなりに時間のかかるものだと認識しているのですが、それら宣伝や広告によれば短時間にまるでいっぱしの画家が描いたような絵ができてしまうとのこと。もともとボクは新しモノ好きなところがあるようで、今月はほんの少しこのAIによる作画についてネットで触れてみたのでありました。

 AIによる作画って、いったいどのように描くのだろうと思っていたのですが、説明を見てみると言葉で描きたい絵の指示を出すと、AIがネット上の情報を集めその指示に沿った映像や絵を作り出すのが一般的なAIによる作画手法、なのですね。具体的にはプロンプトと呼ばれる呪文?を表現したいものを単語と句読点で表現し打ち込み、あとはAIが勝手に作画するのを待つだけという感じでした。試しボクは「柴犬」の絵をAIに描かせてみることにしました。

 上の絵がそれです。AIが描いた?柴犬です。

 結果、AIというものは驚くほど速く簡単にそれなりの絵を作るしまたそれなりの緻密さを持った絵を描くことがわかりました。しかし、日常アナログな絵を描いていて細部までこだわりのある人にはAIはまだまだ虚構感が強い上、細部に至っては「これはちょっと自分が思い描いている絵ではないな」感がぬぐえないものでした。何枚かAIに作らせてみましたが足の数や爪の数が違っていたり(具体的には足が6本だったり爪の数が異様に多かったり、ということ)といった絵が出来上がってしまうことが多いのです。この点については描いてはならないもの(ネガティブプロンプトと呼ぶそうです)をあらかじめ打ち込むことで回避できるというのですが、まあAIも完璧ではなくこちらの意に沿わない絵を仕上げてしまうことも多いようです。(下の絵がそうです。柴犬というよりもクリーチャー感が凄いでしょ?w)

 

 ボクは鉛筆でも透明水彩でも、AIと比べれば数日から数か月という膨大な時間をかけながら少しずつ自分の納得のいく絵を描いていくほうが楽しいし性に合っているという印象であり感想です。ただ誤解してほしくないのは、ボクは決してAIを否定したりするわけでもありませんしむしろここまで絵を簡単に仕上げる技術に感心しているのです。すごい時代に生まれたものです。たとえば「東京の街を歩く若者たち」というプロンプト一つで、あっという間にそれなりの絵が出来上がってしまうことは脅威といってもいいくらいの感動を覚えます。が一方、試しに「空を悠々と泳ぐクジラと海の仲間たち」というタイトルで絵を描きたいと思ったら、手書きの絵ならば思い通りにスイスイ描けるところが、AIだとクジラの質感やそもそも空を泳ぐという絵をうまく表現してくれず現実的な海ばっかりが描かれてしまうイライラ感に襲われてしまうことでしょう。

 少し前、「AIは画家にとって脅威だ」というニュースが流れました。でも絵を描く人ほど一度このAIに触れてみるとこのニュースが「疑問点を内包したニュース」であることに気づくのではないか、とボクは考えます。時間をかけて描いた手書きの絵、またこれまでも造られてきたデジタルな部分も使用したアナログな絵、こういった作品はこれからもずっと多くの人に愛され続ける、とボクは思います。大事なことはアートな魂をもって創作すること、そして始めることが第一歩、手書きでもデジタルでもまたAIでも、あなたも「あなたの絵」づくりを始めてみませんか?

2024年2月29日 こけのきもち

透明水彩の楽しみ

 一年を通じて1月から2月はボクの本業が忙しいため、この始めたばかりのブログも更新ができず悶々としておりました。今日は「透明水彩」という画材の楽しみについてお話ししたいと思います。

 大人になって絵を描き始める以前は中学生くらいまでの美術の時間の記憶しかありませんでしたから、ボクは水彩画といえば画用紙にたっぷりと絵の具を塗りたくって描くことこそがお絵描きの王道かと思っていました。しかし、透明水彩の入門書を読んでみるとその書き方は全く違ったものでした。まずパレットに透明水彩の絵の具を各色ねり出して数日置いておき、その後硬くなった絵の具を使うのです。このパレット上の硬くなった透明水彩の絵の具に水を湿らせた筆をそっと撫でるようにし、その筆先についた絵の具を水彩紙の上に走らせるんですね。もしくはあらかじめ水彩紙の上に水だけを塗り、そのあと硬くなった絵の具の上をなぞった筆でサラサラと色をのせていくんですね。のせる、というか滲ませていくんですね。

 これはボクの中で驚くべき常識の転換でした。そして透明水彩の一番の魅力は何といっても他の画材には見られないこの「滲み」です。中学生くらいまでの、ベタベタと滲ませもせず厚塗りの絵を描いていた自分は何だったのかと後悔しました。またその当時美術を受け持ってくれた先生は生徒の自由に書くことが大事だとお考えだったのでしょう。でもボクの絵の具の厚塗りに目をつむってしまわれず、もう少し透明水彩の本質を教えてくれていたら、と思いました。

 大人になってお絵描きを始めてから数年、ボクは誰かプロの方に教えてもらっているわけではないので、近頃ようやく透明水彩の扱い方また楽しさがわかってきた、というところなのです。そんなわけで上記の絵、タイトルは「いつか見たトウガラシ」なのですが、この作品では気ままに透明水彩で遊んでみました。いや、こんな風に見えたのです。トウガラシといえば赤という決まりがあるわけでもなく、手に取ったトウガラシにはちょっとした宇宙が見えた気がしたのです。でもそれがお絵描きの楽しさ、自由に感じたものをアウトプットしてボクの感じた世界を表現して伝えることができるのが透明水彩という画材を用いたお絵描きや作品づくりだったりするようです。

 透明水彩とは不思議で魅力の尽きない技法であり画材であります。何か具象となるものを描かずとも、紙の上で何種類かの絵の具を用いてそれを滲ませるだけで作品になってしまいます。誰が見ても「わぁ、きれい」と声を漏らすこと請け合いです。鉛筆画やアクリル絵の具などとは良い意味で明らかに異なる画材なのです(と、少なくともボクはそう考えています)。

 滲ませて乾かして、また滲ませて乾かして・・・。あなたも日常のルーチンワークに疲れたら、透明水彩という画材で自由に気ままにその滲みを楽しんでみてはいかがでしょうか?

2024年2月13日 こけのきもち

美術館に行ってきました。

 先日、久しぶりに美術館に行ってきました。訪れたのは神奈川県茅ケ崎市にある茅ヶ崎市美術館です。やっていたのは特別展『ちいさな版画のやりとり』、副題が「斎藤昌三コレクションの蔵書票と榛(はん)の会の年賀状」、こちらの美術館は地味ながらも版画のコレクションが多いのです。

 茅ヶ崎市美術館は小さな美術館ですが展示室は3つ有ります。この「ちいさな版画のやりとり」は展示室1で行われていました。蔵書票というのは本の所有者を示すために書物の見返しに貼り付ける小さな紙のことなのだそう。隠れた愛好家たちがいらっしゃって、自身のものを製作するだけでなく、交換したり集めたりして楽しまれているとのこと。一点一点はとてもちいさな版画なのですが、展示されている作品はかなりの数でした。

 戦後間もないころにつくられた作品なども多く、それらはデザインも素敵だったのですが経年劣化した紙の質感もまた味がありましたね。一つ一つ、どの作品も魂が込められている、そんな印象でした。また販売目的の絵画などとは異なり、自分が納得のいく、それも自由でその作家さんの嗜好がそのまま現れており、もう何十年もたった蔵書票からはどれもその作家さんがまだ目の前にいて、その人となりが伝わってくるようでした。

 地下1階の第2展示室、第3展示室ではそれぞれイエアトリエこども造形教室の生徒さんたちの作品展示、また地元の写真グループの方々の富士山写真の展示が行われていました。ゆっくり一つ一つの作品を楽しませていただきましたよ。

 あらためて思うことは「アートっていいな」と、その一言に尽きますね。穏やかでとても充実した楽しい時間を過ごさせていただきました。

 帰り道、もう白梅が咲き始めていることに気づきました。季節は着実に春に向かっているんですね。

 この展示は来月2月25日まで開催されているようです。茅ヶ崎市美術館、地方の小さな美術館ですが、興味のある方は足を運んでみられてはいかがでしょうか。

2024年1月22日 こけのきもち