いろいろ試してみたこと

 前回は「版画に似た表現を試したい」という記事を書かせていただきました。本格的な版画の道具をそろえるのはむつかしいので透明水彩と鉛筆またミリペンを組み合わてそれっぽい表現ができるか、という試みです。実際に描いてみた絵が下の絵になります。タイトルは「咲いたよ、咲いた」、F3サイズの水彩紙(ウィンザー&ニュートンのコットマン細目)に描いた絵です。

 版画といってもエッチングのような表現を求めました。いかがでしょうか。0.05mmや0.03mmのミリペンも使用し、細いひっかき傷のような線もたくさん描いてみました。遠目から見れば銅版画のような表現ができたのではないか、と思っています。さてもう一枚、タイトルは「笛を吹く人」、こちらもF3サイズ、紙も同じくウィンザー&ニュートンのコットマン細目の水彩紙です。

 一枚目の「咲いたよ、咲いた」に比べると透明水彩の彩度も高めの絵になっていますのでまた違った面白さが出てきたように思います。

 さて二枚の絵、遊び半分に描いてみたのですがいかがでしょうか。透明水彩には透明水彩の良さ、またペン画にはペン画の良さがあることも承知しているのですが、これはこれで面白い表現ができたと思っています。それぞれどちらも額に入れて飾ってみたときに違和感がない形になっていれば描いた絵として一つ形をなしているのではないか、とボクは思うのです。

 それともう一つ、今回の試みはボクの中で「描いていて楽しい」という気持ちを強く持てたことです。うまい下手は別として「とにかくこんなふうに描いてみたらどうなるのだろう、やってみたい」という衝動が強かったことです。誰にも邪魔されない自分の時間の中で、やってみたいことに没頭する時間を持てることは幸せなこと。ここしばらくはこんなテイストの絵をたくさんかいてみたいと考えている、そんな2024年の梅雨の終わりを迎える時期の夜です。

2024年7月16日 こけのきもち

新しい技法の模索

 久しぶりの投稿です。先月、このBlogも頻度を上げて書いていくことができると思ったのですが、思いの外、本業の仕事が忙しく、次の投稿が今日まで伸びてしまいました。

 とはいえ、まったく仕事に追われていたばかりではなく、実は新しい技法も取り入れた形でお絵描きができるか模索する時間も過ごしておりました。新しい技法というのは「版画」もしくは「版画的描写」です。たまたまPinterestで見かけた銅版画に甚く心を奪われてしまい、自分も描いてみたい、やってみたいという気持ちに駆られてしまったのです。が、版画は準備するものや道具も多く、いろいろ調べてみれば、おいそれと取り組めるものではないということがよくわかりました。ことさら銅版画ではプレス機なども必要で、ボクのように個人で趣味程度の絵を描いている者にはちょっと手が届かない道具ばかりでした。

 でもなんとか版画に近い表現がしたいという想いは弱まることなく抱き続けておりました。そこで試してみたのは鉛筆画+ミリペン+透明水彩です。どこで思いついたかは定かではないのですが、だいたいの手法は以下のようなものです。まず透明水彩で下地を作りその上に鉛筆で大まかな線画を作る。その上にミリペンでしっかりと最終的な線を入れ、さらにそこに0.03ミリのミリペンでエッチング的なひっかき傷のような線を描いていく、というものです。

 これがなかなかいい感じに仕上がったのです。少なくともボク自身は面白い表現方法がまた一つ見つかったという感じなのです。

 ここまで話しておきながら一枚もその絵の写真がないのは、いまだにスキャナーは壊れたままで、新しい描き方をした絵たちをお見せできないのが現状だからです。スキャナーは近々新しいものを購入し、こちらのホームページとBlog上でもご紹介したいと考えています。

 さて、描きかけの鉛筆画や透明水彩画もあるのですが、どうもボクの心はしばらくの間はこの技法を試してみたくて仕方がないようです。今年の夏はF0号からF6号くらいまで、いろいろな大きさの水彩紙にこの技法を試してみるつもりです。ボクにとってこの技法の良い点は、鉛筆画に比べ描き始めから仕上げまでの時間が比較的短時間であることです。好き嫌いは分かれるかもしれませんが、いろいろなタッチの作品が描けそうです。その際にはまたお付き合いいただけたら幸いです。みなさんもやってみたい画材から、お絵描きを楽しんでみてはいかがでしょうか。

2024年6月29日 こけのきもち

久しぶりのお絵描き

 今日の更新まで少し時間が空いてしまいました。おおむね1カ月余り間が空けてしまったのですが、この期間中、義父が逝去し、何かと忙しい時間を過ごしておりました。そのためお絵かきも中断していたのですが、ようやく落ち着きが出てきましたので、活動を再開したいと考えております。

 次はどんな絵を描こうか。少しずつボクの中に、描きたい図柄や構図が降り始めてきました。そんな中、描いたのが下の二枚です。一枚目のタイトルは「戦いへの決意」、透明水彩とミリペンを用いて描いたF4サイズの絵です。もう一枚のタイトルは「旅のはじまり」、画材はアクリルガッシュですが下地にダンボール紙や英字新聞の切り抜きなどを張っています。久しぶりに絵を描くと、仕上げることに気持ちが傾いてしまって急いた気持ちで仕上げちゃうものですね。描き終わってみれば「ああ、もう少し丁寧に描けばよかったな、慌てて仕上げし過ぎたな」と反省点が多い二枚となってしまいました。

 

 客観的に考えれば二枚のどちらも判りづらい絵ですね。一枚目の「戦いへの決意」はこのところの政治への不満や社会状況への不満を描いたものです。可愛いだけじゃないよ、ボクらはいつまでも従順ではないよ、言葉を発しなくてもボクらは戦う決意を持ったんだよ、というメッセージを込めた一枚です。多くは語りませんが、だって、ここ数年、不条理な押し付けとも取れる不可解な社会状況が多くありませんか?そんなメッセージです。

 もう一枚はどこからどう見ても「抽象画」です。ですから、ご覧いただいた皆様が自由に何かを感じていただけたら、それで良いのだろうと考えております。ただ少し説明を加えるとしたら、なんとなく見える数字は1964、ボクが生まれた西暦です。ボクの旅はここから始まりそして今も旅を続けているのです。旅とは、自分を探し自分の過去・現在・未来の感覚を一つの現象として感じ取る作業です。そしてボクは「いつもボクであり続けていること」を忘れないようにするための一枚でもあるのです。

 ここ1カ月忙しかったので、再びお絵かきを始められることをうれしく感じているところです。とはいえ現実の抱えている仕事は多忙なので、その合間を縫って今年も描きたい絵を自由に描いて参ります。今後もお付き合いいただけたら幸いです。

2024年5月18日  こけのきもち

弥生よ、弥生

 いつの間にか3月も下旬を迎えました。今月も先月同様、ボクは公私ともに忙しく過ごしておりました。本業の仕事もさることながら、予期せぬ高齢の両親への看護等が立て込んでしまって、このブログの方もなかなか記事を書くことができませんでした。ボクはお絵描きをしたい気持ちこそ常に強く抱いているのですが、こういう物事が立て込んでいるときにはその失われた時間を埋め合わせしなければという強迫観念的な心の作用が働いてしまうこともわかっています。焦ったところで程よい絵は描けないものと理解しています。ですからボクは、この忙しい時間と日々が少しずつ過ぎ去ってゆくのを待つことにして日々のライフワークに取り組んでおりました。

 そんな時間の中で、やはりボクはお絵描きをしたいと思いつつも、時折水彩画の筆を水に濡らして好きな海洋生物なんぞを描き始めてみれば、その描き始めた瞬間に「こいつはどうにも納得のいく絵にはならない」と感じ取って再び穂先を濡らしてしまったその絵筆をおもむろに置いてしまったりするのでした。限られた時間内でお絵描きしようと思ってもうまくいかないものです。絵筆を置きながら「絵を描く動機」などについて、ふと考えている自分がいるのでした。

 ボクにとって絵を描くとは?

 ボクにとって「絵を描く=自分を再確認する作業」ということなのでしょう。ですから、どこからともなく頭の中に降りてきた図柄(次に描きたい絵の構図など)は、ボクの気持ちの中のどこかで「こいつは何とか仕上げて形にしないとな。」という自分の声を感じながら、さぁ仕上げてしまうぞと挑む気持ちで紙面に向かうのです。それがなんとも心地よいのです。ボクにとってはこの絵を描く作業こそがワクワクする時間であって、心地よく、脳内に快楽物質が出ている状態なのだと思います。結果、その絵を描いている時の状況や心象風景がそのまま描いた絵に現れている、そんな気がします。

 観念的なお話になってきたので、今回はこのくらいにしましょう。時間は相変わらず同じ歩みの速さで進み、屋外の風景を眺めてみれば、そろそろ桜も咲き始めそうです。

 三月は弥生、そして四月は卯月。卯月は新しい年度の始まり、ようやく本業の仕事も落ち着きそうなのでボクは懲りずにまた鉛筆画を描き始めています。描き始めた鉛筆画はこれまでボクが描いたことのなかった人物画、になりそうです。初めて人物をモチーフにした絵になりますので、なるべく丁寧に制作中です。お絵描きは時間をかけてもいいんです。春、みなさんも自分のペースでお絵描きを楽しんでみてはいかがですか?

2024年3月30日 こけのきもち

手書きの絵、AIの絵

 少し間が空きましたが、相変わらず日常では絵を描くことのいろいろについて考えることの多い生活を送っております。ボクは仕事の関係上、2月は何かと忙しくお絵描きをする時間も限られてしまっているのですが、その中で近頃、変化があったことといえばSNS等でもAIによる作画の案内や宣伝が妙に多く入り込んできたことでした。お絵描きについてボクは、透明水彩を始め鉛筆画なども描き始めから仕上げまでそれなりに時間のかかるものだと認識しているのですが、それら宣伝や広告によれば短時間にまるでいっぱしの画家が描いたような絵ができてしまうとのこと。もともとボクは新しモノ好きなところがあるようで、今月はほんの少しこのAIによる作画についてネットで触れてみたのでありました。

 AIによる作画って、いったいどのように描くのだろうと思っていたのですが、説明を見てみると言葉で描きたい絵の指示を出すと、AIがネット上の情報を集めその指示に沿った映像や絵を作り出すのが一般的なAIによる作画手法、なのですね。具体的にはプロンプトと呼ばれる呪文?を表現したいものを単語と句読点で表現し打ち込み、あとはAIが勝手に作画するのを待つだけという感じでした。試しボクは「柴犬」の絵をAIに描かせてみることにしました。

 上の絵がそれです。AIが描いた?柴犬です。

 結果、AIというものは驚くほど速く簡単にそれなりの絵を作るしまたそれなりの緻密さを持った絵を描くことがわかりました。しかし、日常アナログな絵を描いていて細部までこだわりのある人にはAIはまだまだ虚構感が強い上、細部に至っては「これはちょっと自分が思い描いている絵ではないな」感がぬぐえないものでした。何枚かAIに作らせてみましたが足の数や爪の数が違っていたり(具体的には足が6本だったり爪の数が異様に多かったり、ということ)といった絵が出来上がってしまうことが多いのです。この点については描いてはならないもの(ネガティブプロンプトと呼ぶそうです)をあらかじめ打ち込むことで回避できるというのですが、まあAIも完璧ではなくこちらの意に沿わない絵を仕上げてしまうことも多いようです。(下の絵がそうです。柴犬というよりもクリーチャー感が凄いでしょ?w)

 

 ボクは鉛筆でも透明水彩でも、AIと比べれば数日から数か月という膨大な時間をかけながら少しずつ自分の納得のいく絵を描いていくほうが楽しいし性に合っているという印象であり感想です。ただ誤解してほしくないのは、ボクは決してAIを否定したりするわけでもありませんしむしろここまで絵を簡単に仕上げる技術に感心しているのです。すごい時代に生まれたものです。たとえば「東京の街を歩く若者たち」というプロンプト一つで、あっという間にそれなりの絵が出来上がってしまうことは脅威といってもいいくらいの感動を覚えます。が一方、試しに「空を悠々と泳ぐクジラと海の仲間たち」というタイトルで絵を描きたいと思ったら、手書きの絵ならば思い通りにスイスイ描けるところが、AIだとクジラの質感やそもそも空を泳ぐという絵をうまく表現してくれず現実的な海ばっかりが描かれてしまうイライラ感に襲われてしまうことでしょう。

 少し前、「AIは画家にとって脅威だ」というニュースが流れました。でも絵を描く人ほど一度このAIに触れてみるとこのニュースが「疑問点を内包したニュース」であることに気づくのではないか、とボクは考えます。時間をかけて描いた手書きの絵、またこれまでも造られてきたデジタルな部分も使用したアナログな絵、こういった作品はこれからもずっと多くの人に愛され続ける、とボクは思います。大事なことはアートな魂をもって創作すること、そして始めることが第一歩、手書きでもデジタルでもまたAIでも、あなたも「あなたの絵」づくりを始めてみませんか?

2024年2月29日 こけのきもち